青江派は、備中国青江庄(岡山県倉敷市)に栄えた一派で、鎌倉時代から南北朝時代にか…
宗近は、平安時代後期の京都三条に住したと伝え、反りがある鍛造の刀剣の形式が完成し…
水心子正秀は山形出身で、秋元家の家臣となり、江戸に出て作刀した。 元禄以降衰退し…
この刀は、初代ではなく2代目忠吉の作である。 初代忠吉が元わ10年(1624)に…
則重は越中国の加持で、現在では相州鍛治である新藤五光国の弟子と考えるのが一般的で…
古備前は平安時代後半における備前鍛冶の総称であり、友成は正恒とならぶ名工。 この…
石堂運寿是一は、米沢の刀工、長運斎加藤綱俊の甥で、江戸に出て、石堂是一の七代目を…
大隅掾正弘は、新刀鍛治の祖といわれる堀川国広の高弟。国広とともに日向国の出身と伝…
室町時代の美濃鍛治の中でとくに著名な刀工は兼元と兼定である。 兼元は孫六兼元が有…
相州正宗の代表作で、その名は能楽の観世家に伝わったことに由来し、観世家から徳川家…
鎌倉鍛治は鎌倉時代末期に新藤五国光があらわれて一門が栄え、正宗に至って相州伝の作…
兼光は景光の子と伝え、備前長船派の棟梁として14世紀前半に活躍した。 この太刀は…
光忠は鎌倉時代中期の刀工で、備前・長船鍛冶の事実上の祖といわれる。 この太刀は板…
包永は鎌倉時代後期に奈良・東大寺の転害門の近くに居住したと伝え、一派は手掻派と呼…
国綱は、鎌倉時代中期の京・粟田口派を代表する名工で、相州鍛治にも影響を与えたとも…
了戒は山城国で栄えた来派の刀工と伝え、同国坂本に居住し、一説には来国俊の子、ある…
正恒は、友成と並んで備前国の古備前を代表とする刀工として著名で、平安時代末期の人…
元平は江戸時代後期の薩摩国(鹿児島県西半部)を代表する刀工で、寛政元年(1789…
津田越前守助広は、初代助広に学び、二代目を継いで、寛文7年(1667)大阪城代青…
光包は京都の来国俊の門人で、近江国(滋賀県)に住し、延暦寺の根本中堂で作刀したと…
高綱は「古備前」と呼ばれる平安時代の備前鍛冶のひとり。 古備前には孝平、高金など…
井上真改は日向国(宮崎県)出身の初代和泉守国貞の次男で、はじめ同名を名乗った。 …
長曽祢虎徹は越前の甲冑師の出身で、のち刀工に転じて江戸で大成した。 甲冑師として…
金棒派は室町時代後期の大和国で栄えた一派で、これは同派のなかでも最初期の作品であ…
備前鍛冶のうち、室町時代後期の作品を末備前と呼んでいる。 そのなかで、次郎左衛門…
義弘は越中国(富山県)松倉郷に居住していたことから「郷(または江)義弘」と呼ばれ…
相州国光は鎌倉鍛治の始祖となった刀工で、正宗の師である。 国光の作品は永仁元年(…
景光は、鎌倉時代末期の備前長船派の正系の刀工。 この太刀は、小板目のよく約んだ地…
光忠は鎌倉時代中期の刀工で、中世における日本刀の最大流派であった備前国・長船派の…
大和保昌派は、銘にもあるように奈良・高市郡に居住していた刀工で、貞吉・貞宗・貞清…
国行は、山城来派の事実上の祖で、国行と二字銘以外の作はなく、年紀のあるものも皆無…
豊後国(大分県の大部分)の行平は英彦山(ひこさん)の僧鍛治定秀(じょうしゅう)の…
この太刀は「近村上(たてまつる)」の三字銘の上に、後から「宗」を切って、宗近の作…
康継は福井の刀工で、はじめ「下坂」と銘を切ったが、徳川家の抱工となり、家康から「…
伯耆安綱は平安時代を代表する刀工。 なかでもこの太刀は、名物童子切安綱として特に…
仙台国包は伊達家の抱工で、江戸時代を通じて代を重ねた。 これは初代国包による刀で…
祐定は室町時代末期の備前長船鍛治を代表する刀工。 同名が多くおり、中でも与三左衛…
国俊は山城鍛治「来派」を代表する刀工で、国行の子と伝える。 国俊には二字銘と来国…
兵庫鎖太刀は、太刀を腰に下げるための帯取りに兵具用の鎖を使った太刀。 平安時代末…
伊豆(静岡県)の三島大社に長く伝えられ、外装の兵庫鎖太刀に三鱗紋があり、北条氏奉…
正秀は山形出身で、秋元家の臣となり、江戸に出て作陶した。 元禄以降衰退した鍛刀界…
鎌倉時代後期に新藤五国光から始まる相州鍛治は、室町時代に至ってもその命脈を保ち、…
備前長船鍛治の秀光は南北朝時代に活躍した刀工で、一説に源光の門人という。 しかし…
指表(さしおもて)は鎬造(しのぎづくり)、裏は切刃造であることから切刃貞宗と称さ…
相州正宗は、硬軟の鉄を交えた地鉄に沸の強い波紋を焼いた力強い作風を得意とし、その…
長光は光忠の子と伝えられ、文永11年(1274)から嘉元2年(1304)までの3…